HOME > セラピールーム > メールカウンセリング事例集 > アダルトチルドレン > 2004/09/23
京子さん
はじめまして京子さん、風早里美です。
お返事が、遅くなり申し訳ありませんでした。
ご質問を読ませて頂きました。
ご自身の生き辛いお気持ちを持っていらっしゃる。
それがアダルトチルドレンの理論によって、腑に落ちた瞬間なのですね。
>最近の日々の生活は 曜日によって多少違いはあるももの、
>朝3時前に起床。家族四人分のお弁当と夕食を作り、
>部屋の掃除、お風呂掃除、洗濯。
>ウォーキングの後七時半に出勤。
>夕方帰宅して家事すませ 22時半就寝というサイクルです。
>一般的に見て無理のある生活。
>自分でも体調不良の生活。
>それでもこの生活から抜けられない。
>手抜きをすることに罪悪感を感じる。
>自分が自堕落になるように感じる。
>手抜きすれば旦那に怒られる。
>悪い主婦になる。
>そんな感覚から抜けられません。
>物心ついてからの自分の気持ちを振り返れば、
>いつの時も素直に気持ちを表現することはできなかった。
>いつの時も自分の気持ちの中には「建前」しかなかったのです。
>「~あるべき」素直な気持ちは打ち消してきました。
本当に辛そうですね・・・・・・
無理をしている京子さんは、息切れしてしまいませんか?
そこに、体力的に強いものを持っていた為に
病気になることも、倒れる事もなく今まで走り続けてきてしまったのですね。
其れは、それで哀しみを感じます・・・・・。
>喜怒哀楽を他人に見せることは「悪」であるといか概念から無表情。
>無抑揚の会話しかして出来ませんでした。
>自分の中に少し残された素直な気持ちさえも「悪」だと。。
>今の自分の生活の中の悶々とした不平不満も「悪」である。
>「楽しみでさえも罪悪感を伴う」という特徴に安心しました。
>アダルトチルドレンは幼少の頃の親との関係が影響しているようですが、
>私の場合は恐らく自分の先天的な性格にも問題があったのだろうと思います。
>確かに 親は几帳面な人で、私が「いい子」であることを望みました。
>勉強が出来ること。お手伝いをすること。真面目であること。
>でも恐らくそれは世の中の親なら誰もが要求することです。
>私の場合 先天的に「アダルトチルドレン」の素因を持っていたのだと思います。
>親のいう事を素直に受け止める性格を持って生まれたのではなかろうかと思います。
どこまでも、自分自身が悪い・・・・・・
そこに親の関わりのまずさは無く、其れをそう受け取った
自分自身のフィルターが悪い・・・・そう決め付けてしまう事は
理論的には間違っていませんし、理解しやすいでしょう・・・
ただ、そこには、どんな理由にしても
恐らく傷ついていた『小さな京子さん』の存在が忘れられています。
親にどんなに悪意が無くても、良かれと思って行動していたとしても
結果として、相性なのか子供側のフィルターなのか・・・・
京子さんは、今のような生活を自分に課し
どこかで自分の人生でありながら、
本来の貴方より距離のある人生を歩いてしまっているようです・・・・。
ご両親の言葉を素直に受け止める性格がそこに存在しなかったとしても
今の、貴方の中には『もっと素直に』『もっと、自由に』
そういった叫びが聞こえてくると感じるのは、私だけなのでしょうか?
>20歳で結婚。
>「良妻賢母」を理想とした私と「男尊女卑・九州男児」の理想を持った旦那との
>夫婦関係も目に見えたもので、私は殆ど自己を表現しないままでした。
>「本当の自分じゃない。これは私じゃない」と言う思いを常に持ちつづけてきました。
>年齢とともに苦しみが大きくなってきているのです。
>もっと気楽に、素直に生きられないものか。。
>みんなのように おおらかに笑い、怒れたらどんなに楽だろう。。
>涙の流れる日々なのです。
>「アダルトチルドレン?」と思い始めてから自問自答の日々です。
>「アダルトチルドレン」と自分を決めつけることは「逃避」かもしれない。
>他人に責任転嫁をしてしまうのは「弱さ」なんだ。。
京子さん・・・・・・
あえて、とても辛い言葉かもしれませんが伝えなければなりません。
ここに書かれている「他人への責任転嫁」をしてしまう事は
アダルトチルドレンである事を認めることではありません。
京子さんは、既に大人であり幼児ではないのです。
誰かの評価が無ければ生きていけない存在ではないのです。
間違いなく責任転嫁をしているのは
京子さん自身が、アダルトチルドレンである事を認めないことだと思います。
其れを受け入れないことこそが、自分を変えない理由だからです。
ご両親の存在を肯定しているからではなく、本当の自分を認め
本当の自分自身が、どういった考え方をしているかを知った時が
心から怖い為に、直視したくないのではありませんか・・・・・?
今、現在の京子さんが「変わることを選ばない」という行動で
夫であったり、環境である「他人」という名前に責任転嫁していませんか?
京子さんを変えることが出来るのは、京子さんだけなのに・・・・・・・
私は、京子さん自身に「京子さん」を見捨てて欲しくありません・・・・
京子さんの人生は、京子さんの人生であり
どんなに辛くても、苦しくても、ゴムが伸びきっていても・・・
其れを受け入れるのであれば、
其れはそれで誰にも否定できない事だと思います。
「其れでよい」・・・・と、
最終的に受け入れているその人自身の価値観の問題です。
ただ、『今のままで、本当にいいのですか・・・?』
>幸い三人の娘は
>私が反面教師になったのでしょうか、自己表現の上手な娘に育ちました。
娘さんの自己表現は、娘さん自身の自己表現なのでしょうか?
母親が、母親自身を表現しない中で、起こされたりアクションが
その娘さん自身の本来の『自己』ではないのかもしれないと
私には少し思えています。
「お母さんが(京子さん)、自己表現の出来る娘を欲しがっている」
・・・・・・その、思いによって創られてしまった表現であって
本当のその人自身なのかは、もっと成長され結婚をし子育てをし
自己が確立した時にわかると、私は思います。
一生懸命に頑張る人が好きです。
自己犠牲的であっても、それに喜びを本当に感じる人を尊敬します。
でも、それでも、最後に「死」を迎えたときに
「いい人生だったな・・・・」、
そう思えることが出来るようになりたいと思いながら生きています。
京子さんは、その瞬間何を考えるのでしょうか?
しかし、其れは私の価値観であり、京子さんの其れとは違います。
何かの縁があり、ここで接点を持たせていただきました。
きっと「偶然」ではなく、「必然』だと思います。
意味ある偶然なのです・・・・・・・・・・
いつの日か、何かのエネルギーになり
京子さん自身が貴方の手に、自分の人生を取り戻される事を願っています。
京子さんの心の水面に、小さな石を投げ入れて
何かの波紋を起こす事で、いつか『気付き』に繋がると信じています。
今の、京子さんのように、気付いても動けない時があります。
頭の気付きては無く、心が気付く事が出来れば変わることが出来ます・・・
京子さんの文章の中に「知性化」「合理化」を含め感じるところがあり
直接的な言葉を書かせていただきました・・・・・・。
あえて、オブラートに包んでは返って伝わりにくく
あなた自身の本来持っている強さに失礼だと感じ
そのまま書かせていただきました。
オブラートに包んでいては、きっと『言葉遊び』になってしまいます。
しかし、ご不快に感じられるかもしれません・・・ご容赦下さい。
>でも。。でも。。 いいじゃない?
>でも何か。。 何か。。 見つかるかもしれない。
>そんな思いで このメールを送らせていただきました。
この文章は素敵ですね。
自分を甘えさせてあげられる言葉です・・・・・
「まっ、いいかぁ~??」
そんな、言葉を自分にかけながら肩の力を抜いて下さい。
応援しています・・・・・・