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おりひめさん・・・”性的いたずら”のトラウマで苦しむ48歳
2011年7月12日 おりひめさんからご質問を頂きました。
**** ハンドルネーム ***
おりひめ
*** ご相談の内容 ***
私は48歳です。
今更こんな相談をするのはどうかと思いますが、
一度は乗り越えなければいけないと思ってメールしました。
小学高学年から高校1年にかけて、
習い事をしていた当時25代後半の男の先生から、
上半身を触られたり、服を脱がされたりしていました。
子供だったため、漠然とした怖い気持ちはありましたが、
習い事をやめることもそのことを親にも言えませんでした。
16の時、レッスン中先生にむりやり抱きしめられて濃厚なキスをされました。
触られたり、脱がされたりよりも、とてもショックでした。
その時「君が好きだから。結婚しよう」と言ったのです。
嘘にきまっています。それくらいの嘘はわかりました。
とりあえず、その場を去るくらいしかできませんでした。
でもそのことを誰にも言いえませんでした。
習い事も何事もなかったかもように行きました。
幸いそれからはその先生は何もしなくなりましたが。
私は犯されたわけでもないのですが、
男の人すべてが汚いものに見えました。
表面上は何も変わってないようで、暗くて引っ込み思案になりました。
道で男の人とすれ違うだけで、ぞっとします。
男の人の視線だけでも恐怖です。
男性不信、恐怖症になっていました。
その後、好きだと言ってくれる人が何人もいたのに、
どうしても二人きりになるのが怖くてすぐにお断りしてしまいました。
表面上は絶対そんな風に見えていなかったと思います。
コンパとか平気で言っていましたが、それは女の子もたくさんいるし、
人がたくさんいるから大丈夫なだ けでした。
大学2年生の時、とても好きな人が出来ました。
初めて真剣にお付き合いをした人です。
当然相手はいろいろなことを望んできます。
私はそれにこたえたいのですが、体は言うことを聞きません。
どうしてもあの瞬間を思い出して体がすくむのです。
そういう行為だけが愛情ではないとそう思っていたから、こわいのです。
私は相手から逃げました。
そうするしかなかったからです。
毎日苦しかった。会いたいのに、会ってはいけないと自制しました。
その後すぐ見合いで結婚しました。
子供もできました。
心の中ではやっぱり男の人が怖いままでしたが、
結婚という形式は自分が安心できました。
でも主人も男だと意識するといやな気持ちになりました。
今では、男の人がそういう衝動を持つことも頭では理解しています。
ようやくそのころのトラウマが薄れました。
年もとったので、男の人を怖いと思うまでには至らなり、
なにしろこちらも女と意識する年齢でもなくなってきてとても楽になりました。
ところが最近、20歳の時別れたその人と偶然再会しました。
あの頃とても好きだったことを正直に告げると、
その人はもう今は別々の人がいるのだから、今また会うことはできないけど、
もっと何年か経ったら会おうと言われました。
もしかしたら、傷ついたのは私じゃなくて、私は彼を傷つけたのだ。
そう思いました。
あの時素直になれたら、この人はわかってくれたかもしれない。
うまくいったのかもしれない。
でも20歳の私にはあれが精いっぱいの判断だった。
あんなことさえなかったら・・と後悔します。
私はあの時とても辛くて悲しかったんだ。
本当は一緒にいたかったのに。
どうしてそう言えなかったんだろう。
現在の私がその当時に戻れたら、若いころの私を抱きしめてあげるのに。
いっぱいいっぱい、泣かせてあげるのに。
その日から、昔のトラウマがよみがえってきて、とても辛いのです。
あんな事さえなければ、
普通の青春時代があったのではないかではないかとおもうと、
自分がかわいそうな気がしてきます。
あの頃ずっと押し殺してきたいろいろな思いがどっとあふれてきて、
とても苦しいです。涙も出てきます。
体調も悪くなり寝込んでしまいました。
自分の中でそれを解決しないと、
いつまでも別れた人を思い続けないといけない気がしています。
若いころの悲しい自分をなんとかしたいのです。
どうしたら、 若い時の思い出も再会も、
いい思い出だと素直に懐かしく思えるようになれるでしょうか?
過去を乗り越えられるでしょうか。
*** ホームページの感想 ***
ブログのブラックスワンのところ読みました。
私も見る前にアダルトチルドレンの話だとすぐわかりました。
相談内容に書きませんでしたが、私もACでずいぶん悩んだからです。
私も見終わって、それがずっとフラッシュバックして
2週間くらい寝込むほどん体調が悪くなりました。
ブログ読んで、なるほどと思いました。
一緒に見に行った友達は、ただのバレリーナの話、だと思っているようでしたが。
【お返事】
「おりひめさん」、はじめまして風早里美です。
メールを読ませていただき、辛いご様子を感じ
出来るだけ早いお返事をさせていただきたいと思いました。
ご相談内容だけではく、お返事への必要性があり
ブログに関する感想を掲載させていただいた事をご容赦ください。
長年に渡って性的いたずらの被害者になられていたようで
どんなに傷ついていらっしゃったのだろうと感じました。
特に思春期のピュアで真っ白な心と身体には
ダメージが大きかった事だろうと思いました。
嫌なのに会わなければならない環境に大きな不安感を持ち、
「男」という生き物に対する恐さ、嫌悪。
それらの痛みは、当時の若い感性でないと理解できないような
そんな大きな辛いダメージだったのだろうと思います。
「犯されたわけではない」と書かれていらっしゃいますが
辛い悲しい痛みを持った体験であり
その後の、おりひめさんの感性に人生に
大きな影響を与えたのは間違いないと思います。
青春期に影響を受けた異性との関わり・・・
それは恋愛と言うには幼い段階で躊躇されたのでしょう・・・
恐さや言葉にならないブレーキによって強制終了をされたのですね。
それは、「おりひめさん」の心に背く気持ちであっても
若い時の貴女は、ご自身でもおっしゃっていらっしゃるように
それしか、きっと選べなかったのだと思います・・・・・
本当に、恐い経験だったですね・・・・
本当に辛かったですね・・・・
すごく、すごく悲しかったですね・・・・
すごく、すごく哀しかったですね・・・・・・
「おりひめさん」の中にある未消化な思いが
昔の恋人に逢ってしまい、あふれ出してしまったのですね・・・・
恋人との時間も、「未完の行為」という完結しない形で
強制終了してしまっているのですから、
更に「なぜ?」「何故、こんな事になってしまったの?」
という思いは、もっともっと強いことでしょう・・・・・
さて、ここで少しお話をさせてくださいね・・・・・
私は、頂いた文章を読み薦めていて、
実は、書かれた内容に違和感を感じる部分がありました。
少し責められているようにも感じる部分があるかもしれませんが
「貴女が悪いという視点ではない」
という思いで私が書き進めている事を、
最後まで心におきながら読み進めてくださいね。
それの一つはは、この性的いたずらをされていた期間なのです。
お稽古に行かれていた小学校~高校1年まで・・・・の期間です。
こういった状況を経験された方は、悲しい辛い経験として
何度か関りを持たせていただいたことがあります。
恐さと恥ずかしさと、色々な事で人に親に言えない期間があります。
ただ、具体的な悪戯の件を話さなくても、
「お稽古に行かない」という行動に出る等して、
自分自身を守る事を選択する場合もあったりします。
また、二つ目に、そういった男性に対する恐さの為に
自然な恋愛を出来ない状況になっていた「おりひめさん」が
なぜか、『お見合い』という形であるにしても結婚をされたとことです。
それも、「その後すぐ」に・・・・・
「親に相談できない関係があったのかもしれない」
そう感じながら、読み進めておりました。
そして、ご相談の内容を読み終えて、ブログの感想を読んだ時に
私の中で「符合」したものがあったのです。
「私もACでずいぶん悩んだ・・・・」そう書かれているところを読んだからです。
「おりひめさん」、貴女はもう48歳になっています。
冒頭に書かれているように、「この年になっているのに・・・」
と言う事を考える必要はありません・・・・・。
傷ついた貴女自身は、恐らくまだまだ癒されていないと思うからです。
ただ、この長い年月が、貴女を成長させたのでしょうね・・・・
<現在の私がその当時に戻れたら、若いころの私を抱きしめてあげるのに。
<いっぱいいっぱい、泣かせてあげるのに。
当時の自分自身を理解してあげたい、味方になってあげたい・・・
そういった理解をされている事は、きっとACで悩んできた時間が
そういった、「おりひめさん」を成長させたのですね・・・
こういった理解をしていても、今の「おりひめさん」が辛くて仕方ないのは
体調を崩すほどに、ご自身でも望んでいらっしゃるように
『終わらせる事』が出来ず、過去の事にする事が出来ないようですね。
<自分の中でそれを解決しないと、
<いつまでも別れた人を思い続けないといけない気がしています。
<若いころの悲しい自分をなんとかしたいのです。
このように、書いていらっしゃいますね・・・・
「おりひめさん」、時間をかけて舞い上がった砂が降りて
少しずつ、過去の貴女がそうであったように、
心の傷が収まるのを待つ事も一つの方法だと思います。
しかし、逢うはずのない人と「必然」のようにバッタリ出逢った事は
とても意味あることのように私には思えます。
私は過去の「性的いたずら」は、辛い出来事ではあるけれど
それは、きっかけに過ぎないように感じています。
また、今の段階では成長期・青春期の
哀しい「シンボル」のように存在しているのではないかと思っています。
今の「おりひめさん」の辛さは、もっと複雑なのではないでしょうか?
つまり、貴女の親子関係とも大きく関わっていると思うのです。
そういった辛い悪戯を親に話せなかった事、その背景の親との関係。
そこには加害者である男性だけでなく、親への不信感があるのだと思います。
早く結婚を選ばれた事も、ご実家を早く出たかったのかもしれません。
現在の、ご主人との関係の中に、
本来の貴女を表現できない時間があるのかもしれません。
それらは『嫌なもの』を、嫌と言えない・・・・・
そういった状況が、現在も尚、横たわっているのかもしれません・・・・
時間の中に、埋没させていくことよりも
出来れば、もっともっと、その「性的悪戯」も含めた
幼い頃の、青春時期の貴女自身を、
しっかりと48歳になっている「おりひめさん」が
理解してあげることが必要ではないでしょうか?
そして、その上で・・・・・、
しっかりと抱きしめてあげる事が必要なのでないでしょうか?
そして、その「性的悪戯」の事も
親によって傷ついていた「幼かった時の貴女」にも言ってあげるのです。
「あなたは、何も悪くなかったのよ・・・・・・・・」と。
出来れば、身近で信頼できる専門家の手を借りて
しっかりと癒しの作業をしてあげることが出来るといいのではないかと思います。
貴女は「今のままではいけない・・・・」、そう思っています。
そんな、貴女の心の声を、今回はしっかりと聴いてあげてほしいと思います。
心から応援しています・・・・・・・
2011年7月25日お返事を頂きました。
*** ご相談の内容 ***
早いお返事ありがとうございます。
ACのことまで触れるととても長いお話しになりますが、
必要だと思われるので、ご了承ください。
声楽の先生は、父母の友人でした。
とても言えません。
結婚式にも「恩師」としてきています。
それに私は年上のお兄さんとしてその人に憧れていました。
している意味がわからなくて、怖いのだけど、
「教えるのに必要なこと」と言い聞かせました。
先生もそう説明していましたから、信用しようと思いました。
実は、私は彼が求めてきたとき、頭では構わないと思いました。
そうなりたいとも正直思いました。
何度も待ってくれたし、彼の思いもよくわかったからです。
そのころはまだ結婚まではそういうことは、という時代でもありました。
トラウマのことはあったけれど、それ以上に彼が好きだったからです。
でも、先生からお返事をいただいて思い出しました。
その時まさに母親を思い出したのです。
こんなふしだらなことをする私は母を裏切っていると思いました。
ダメだ!ととっさに思いました。
トラウマだけでなそれが、それは私の中で大きな呪縛でした。
そのとき私はこれで終わりだとあきらめの気持ちで、
「好きならこういうことはしないで」と言ってしまったのでした。
昔のトラウマだけでは実はありません。
もしかしたら、母親の存在のほうが大きいかもしれません。
愛情とセックスというのが私の中で結び付かないのです。
彼はとても悲しそうでしたが、やめてくれました。
が、私の思った通りそれからもう連絡がなくなりました。
自業自得だと思いました。
それからもうひとつ、私の中で許されないのは、
そういう行為が快楽として存在することでした。
男の人は怖い、
だけどそれにおぼれてしまうのではないかという自分も怖かったのです。
父母は仲のいい時と悪い時が激しくて、
記憶には4歳くらいから家のものを投げ捨てて父を罵倒する母を憶えています。
物を投げる、壊す、汚い言葉でののしる、母は本当に感情的な人でした。
普通の夫婦喧嘩ではありません。
父は家では無口でしたが、社交的で友達もたくさんいたようでした。
女遊び、ギャンブル、お酒、と家にいることはあまりありませんでした。
いつもそんな父に母は怒りをぶつけていました。
いつからか、そのいら立ちを私にぶつけるようになって、
家事を言いつけられたり、
気に食わないとたたかれたり、罵倒されたりしました。
小学4年のころ、商売を始め景気も良かったので母も手伝いに行き、
忙しくて11時過ぎまで一人で留守番をしていました、
ご飯は一人で店屋物を食べていました。
とてもさみしかった。
その後母は自律神経失調症で、いつも寝込むことが多くなりました。
私は母のいうことを聞く良い子をずっと演じていました。
そうしていれば母は機嫌が良かったからです。
口答えもしません。
罵倒してくる母のいうことをただ聞くだけで、
それがきにくわないらしくそれでまたたたかれます。
母親とは友達のような関係であったにもかかわらず、
私は母の気に入るような娘でいなければなりませんでした。
母の機嫌を損ねるのはこわいし、
寝ていることが多かったので、家事も手伝わないといけませんでした。
私は親にさえ自分の思っていることを言ったり、口答えさえできません。
ましてや甘えることはできませんでした。
母は甘えられるのが嫌いなのです。
しっかりした長女を演じていました。
むしろ母親の愚痴をいつもいつも黙って聞いてあげる役目でした。
高校に入ったころ、
母は寝込んでいることが多くなり、晩御飯はいつも外食でした。
父が浮気をしていると言っては、夜中車で探しに行くのに付き合いました。
夜中じゅうあらゆるところに電話していたこともあります。
母は娘の私に、父をやが女をつくって何をしているか話したりもしました。
浮気をしないように、避妊手術もした、といったこともあります。
自殺もしかけたといったこともあります。
そういったことを聞くのは嫌でした。
私にはとても優しい父でした。
そういうことをのぞけば、母は今風の話の分かる人でした。
でも母親は「あなたたいがいなかったら離婚するのに」
私は心の中でそんな勇気はないくせにと思っていました。
母親は父に頼っていたからです。
裕福だし外目には幸せな家庭だったのですが、
いくらお金があっても何かが違うと思いました。
どうして私の中に快楽はいけないこという
考えがあるのかということをか書かなくてはいけません。
母は祖母(父の母)をとても嫌っていました。
祖父が戦死した後、私生児を生んでいます。
私は祖母にとても似ており、いつも、
「おばあちゃんは男にだらしない、あなたはおばあちゃんに似ているから
そういう誰とでもするだらしない女になる」というようなことを、
母は憶えていないと思いますが、いつもいわれました。
私の中に、私は男の人にだらしない娘になる・・という感覚が植え付けられました。
だから、そういうことに興味を持ってはいけないし、
そういうことをしたいと思ったり、
ましてや快い、と思うようなことはタブーなのです。
だからこそ、私にとっては
恋愛はプラトニックが一番きれいなものだとずっと最近まで思ってきました。
すすれば、怖いことは何もありません。
そういうことはない世界ですものね。
私が大学に入ったころ、先述の彼に出会いました。
そのころ・・自分にまったく自信がなく、
自分の思っていることなどまったくいえず、
女として見る彼の視線だけで、怖くて、そういう雰囲気になるのが嫌で、
ごめんなさい、といってしばらくして別れました。
あの時も、私から逃げました。
20歳のころです。
妹の面倒も見なくてはならず、
家事もして、とても精神的にしんどい時期でした。
私はぜんそくになりました。
すべてがいやになっていました。
私はあの彼に電話をしました。
たぶん、誰かに頼りたかった。
それでまたお付き合いが始まりました。
私が無意識に彼を頼ったのは、
彼といることがほんとうに安心できる場所だったからでした。
その安心できる場所を失うのはとてもつらかった。
とても満たされた気持ちになれる、それは初めて思う気持ちでした。
それを失ったことはとてもつらかったですが、
彼はそんな私の気持ちには気がついてはいなかったでしょう。
自分の気持ちを伝えるということができない子だったのですから。
私はいつも実家に私のいる場所がない、と思っていました。
だから早く家を出たかったのです。
見合いなら、母親公認で、セックスさえ認められたことです。
嫌な気持ちはあっても、子供は欲しかった。
私が経験することのできなかった「温かい家庭」というものを作りたかったのです。
母親からは相変わらず毎日といっていいほど、
父親のことで愚痴の電話がありました。
私は何か判断するのに、母が気に入るようにしていたことにきがつきました。
母親がうっとおしくなってきました。
それとともに、母親はなんてつまらない人なんだろう。
彼女のようになりたくないと思うようになりました。
なぜか生まれたのは息子二人で、この子たちを育てて、
子供はなんにためらいもなく甘えることができるのだと知りました。
母は孫はかわいがりますが、預かったりしてくれることはなく、
自分の子だから自分で見なさいと、甘えることをゆるしてくれません。
絶対に頼らない、そう決心しました。
話は別ですが思春期の頃はかわいいむすこたちでさえ、
汚いもの、に見えました。主人とは子どもができたら、
もうそういうことはできなくなりました。
10年前父がなくなり、母親が次は私に覆いかぶさるように頼ってきました
すべてぼことを全部わたしにおしつけて、
挙句の果てには自分の面倒もみろと言ってきました。
まだ62歳でした。
それなのに母が泣いているのに、
私が楽しいと思ってはいけないと思うようになり、
毎日のように母親が自分の不幸だけを
ずっと話すのを聞いているうちに、苦しくなりました。
私だって苦しいのにそれをわかろうとしない母親にがっかりしました。
「私は母親が嫌いなんだ」そう思った時、急にすっきりしました。
それとともに、母親のようになりたくないと思い、
もしかしたら今まで聞いてきた父親のことももしかして
母親の妄想の部分もいっぱいあったのではないか?
なぜなら私は実は父が好きだったのですが、
母親の味方をするしかなかった。
父に申し訳なかったと思います。
父は父なりの苦しい気持もあったでしょうし…。
それは母にも言えることですが。
それから、ようやく母親と自分は
別何だと思えるようになり、少しは楽になりました。
それに気がついたところで、まだ自分の思ったことを
言えるようなところまでいっては言えませんが、少しずつ変わったつもりです。
自分の思いを正直に言う・・
そうしないと、自分を愛してあげることはできない。
私は自分の気持ちを正直に伝えたことがありませんでした。
せめて自分が好きだったことは伝えたい…と願ってきました。
いつかできるなら・・・
そして、私が妻や母や娘・・
そんなものを全部なくした「私」を抱きしめてほしい。
赤ちゃんが母親に抱かれて安心するように、
そういう場所が欲しいと思うようになりました。
思いっきり泣ける場所が欲しいと思いました。
いつも昔のその彼を思っていました。
子どもも巣立った今、
私が欲しいと思った幸せな家庭も手に入れた。
でも、何かが違う。
私は、本当の自分をどうしていったらいいのだろう。
誰もわかってくれないまま、しまっておくのだろうか?
一対人はみな私の何を見ているのだろう?
そう思うようになり苦しくなりました。
15年前から私には持病があり、それさえ周りにほとんど話してはいません。
原因も不明でいろんな病院に行きました。
家族のいない時は苦しくて寝ているときもありますが、家事はやります。
毎日痛みのある症状で、これもまたわかってもらえず、
治療法もないのでこのまま一生付き合うしかありません。
しんどいとかいうことが母親と重、ただ愚痴を言って暮らすのもいやなのです。
でも、頑張るのも、なんでも自分が我慢するのも、もう疲れました。
私だって、疲れる時もあるし、機嫌の悪い時も、しんどい時もあるんです。
みんなが望む「私」ばかりじゃない。
そんなとき、出会ってしまいました。
言いたいことはそれなりに大人の良識を持って伝えました。
私はその時とても苦しいことを抱えていました。
そんな話はしていませんが、その人はむかしより穏やかになり、
私のことをすっと受け止めてくれました。
誰にも今まで感じたことのない、30年たっても、
やっぱりその人は私をすごく安らかな気持ちにさせてくれるのです。
ならば、もう一度あの気持ちを味わいたい。
この人でないとだめなんだわ・・・。
恋人でなくても、友達でも、構わないのです。
かれなら私、つまり私の中の・インナーチャイルドを
いやしてくれる人だと思ったからです。
でも、それは望んではいけないことです。
彼には何にも関係ありません。
そして、彼に出会ったことで、
過去のすべてがずるずると思いだされてきます。
若いころのいろいろなこと。
苦しくて辛くなりました。そうすると彼に頼りたいと思ってしまいます。
実際に彼は手の届くところにいるのですから。
大人の私は今理解できるようになっています。
ただ静かに時間が過ぎるのを待つには、時間も残り少なくなってきました。
彼はもちろん好きな気持ちもあります。
今のその人が好きです。
それは見っていて構わない感情だと思います、自分の中で。
でも、彼は若いころのすべての、私の象徴なんですね。
あのころ辛かった自分を救ってくれたたった一人の人に
もう一度、と思うのは無理な話ですものね。
だから、世の中が再会して好きになるという気持ちと少し違うような気もします。
だからこそ、こんなに思いつめてしまうし、忘れられないのではないかと思います。
彼に対して救いを求めてしまう自分に、
彼はもう今私の前にいるべきの人ではないと・・もう過ぎてしまった過去の人だと・・
そう言い聞かせて、いい思い出といえるようにしたいのです。
<お返事>
「おりひめさん」、お返事有難うございます。
文面は、途中のように感じお尋ねをしましたが文章が残っていないとの事・・・
これもまた一つの必然だと感じ、このままのお返事をさせて頂きます。
ご両親の狭間で、ずっと揺れ動いていらした子供時代の時間を
とても辛く不安で、心が痛い時間だったと感じました。
ずっと、ずっと、貴女が貴女でいられない時間が流れていたのですね・・・
ご自身で書かれている文章を、もう一度読んでみて頂けますか?
1通目に書かれていた、タイトルにもさせて頂いた
「性的な悪戯」とも随分と離れたところに、
本当の心の痛みはあったようですね・・・・
「おりひめさん」は、15年前からの持病とも戦っていらっしゃる・・・・
それは、身体の痛みとして、「おりひめさん」を苦しめてきたのでしょう。
ここに書かれているように、貴女はもう頑張りたくないのだと思います。
もう頑張らないで頂きたいと、私も思うのです。
大学時代の彼に対する気持ちは、貴女の若い頃の象徴・・・
それは、おっしゃる通りに彼との関係だけでなく
ご両親との関係も含んでいると思います・・・・。
いえ、いえ・・・・
それこそが大きく
「おりひめさん」を飲み込んでいると私は思っています。
ご両親との関係の中で、揺れ動く感情・・・
性的な欲望を含んだ感情を感じる自分に対する否定感・・・
それは、男性に対する否定的な感覚を持つことで
そういった状況を避けて生きる道を無意識に選んでいたようにも感じます。
別途、貴女の病に関して、少し思うことを書かせて頂きます。
私のところにたどり着いてくださる方々の中には
「おりひめさん」と同様に、
原因の分からない難病を抱えていらっしゃる方もいらっしゃいます。
それは“気の病”というには、あまりにも具体的な症状を現しています。
それらの方は病院に通い、精神科という観点ではなく
具体的な治療を受けていらっしゃいますが
原因もわからず改善をしない事が多いようです。
全ての方が、改善をした訳ではないですが
実際に、私のところを卒業される頃には
それらの症状が一切、影を潜め、投薬も終了、
身体症状も回復され、通院終了された方が何人かいらっしゃいます。
「おりひめさん」の病が、それらと同様なのか分かりませんが
回復の可能性はあるように、私は感じています。
「おりひめさん」の心が悲鳴をあげているのだと思うからです。
そして、それでも耳を傾けない「おりひめさん」に対して
身体が「助けて!」のサインを出していらっしゃるように感じるからです。
家族に対しても無理をして、頑張り続ける事・・・・・
恐らくご健在のお母様に対する割り切れない思い・・・・・
それらの事に対して、
「もう出来ない」と言いたい貴女がいるのだと思うのです。
また、亡くなったお父さんに対して言えなかった言葉であったり、
ご自身のお父様への罪悪感も大きいかもしれないですね・・・
「おりひめさん」が、自分をもっと愛したいと思っているのではないですか?
自分自身の気持ちを大切にしたいと、心が叫んでいるのではないですか?
「おりひめさん」、
ここで、少しだけお話をさせて頂いた中でも
貴女は色々な気付きをされているよう感じています。
どうか、身近なカウンセラーにサポートして頂きませんか?
専門家に力を借りて、貴女の心と身体を助けてあげませんか?
恐らく時間はかかると思いますが、
本当の貴女が強く気持ちを定めれば、
きっと回復の可能性は大きくなると私は思います。
今までの「おりひめさん」の生きてこられた時間に
どんな事が起きていたのか・・・・・
どんなに心が痛みを感じていたのか・・・・・
どんなに不安に感じていたのか・・・・・
どんなに誰かを愛し切なかったのか・・・・・・
そんな色々な自分自身を、ちゃんと探してあげませんか?
それらの絡んだ心の糸をほぐしてあげ整理して
もっと、もっと自分自身を「知って」あげる事・・・
そして、その上で「抱きしめて」あげる事が大事だと思います。
そういった「吐き出し」のカウンセリングをする事で
現在の自分自身が、生きてゆきにくい心の癖を
修正してあげる事が出来る可能性があります。
吐き出すことで、心と身体に溜まっている“澱み”を取り去り
これからの人生を抱きしめながら
穏やかに健やかに生きていける可能性があると私は思います。
「おりひめさん」、貴女はとても聡明で傷つきやすい女性だと思います。
その聡明さと、繊細さが貴女を助けてきた事でしょう・・・
ここでも理解も早く、視点を変えた発想も多く出来ています。
しかし、その事が貴女のフィルターを通した
「事実ではないゴール」に貴女を誘っているようにも思います。
つまり、「自分探しをしても、何も意味が無い・・・」
そういったゴールです。
実は、私もそうでした・・・・。
専門家ですから、理論的に分析し、自己結論を出し
その吐き出しの行動を、ずっと避けてきたのです。
しかし、拒食・不眠・自殺願望・・・・
色々な症状が私を追い詰め、
40歳の時、逃げ切れなくなりカウンセリングを受けました。
そして、その「私は自分を理解しているからやっても意味が無い」
そう思っていた吐き出しのプロセスを通ってみると・・・・
苦しかった・・・・、辛かった・・・・、
とても、とても・・・・、しんどかった。
そして思いがけない、色々な心の葛藤が生まれ・・・
色々な気付きや、
見えなかった、いえ見ようとしなかった自分自身の醜さや、
自分自身の哀しさを、見つけることが出来たのです。
そんな長い長い心の旅を、貴女にも歩き始めて欲しいのです。
これから先は・・・、誰もお手伝いは出来ません。
「おりひめさん」の人生なのですから・・・・。
私も、そして医師も、誰であっても貴女を変えることは出来ません。
「おりひめさん」自身しか、貴女を助け、変える事は出来ないからです。
私との対話も、このメッセージで終了となってしまいます。
「今」でなくてもいい・・・、いつの日にか
貴女が、貴女を助けてあげて欲しいと心から願っています。
私は、貴女の心の哀しみの泉に、
小さな小石を投げ入れた様な気持ちです。
どうか、いつの日にか小石の波紋が波紋を呼び、大きな波となり
「おりひめさん」が、貴女自身を助けるエネルギーになることを願っています。
「おりひめさん」、
幼い貴女の時間は、まだ続いているのではないですか?
貴女のインナーチャイルドは、
まだまだ体操座りをして、きっと一人で膝を抱え泣いています。
そんな「小さな貴女」を、助けてあげて欲しいと祈っています。
心から応援しています。